新しい年を迎えたばかりで、過去を振り返っている場合ではないかもしれませんが、あえて振り返ることで、これから、今年一年、今後の将来に希望を見出す
そんなこと試しても良いのでは?
のちに“バブル”と呼ばれる、1980年代後半。
日本は好景気の真っ只中。
オパールにまつわる人間も、まさにある意味“バブル”だったのかもしれません。
採掘量の落ち込みは否定しようのない事実として、誰もが心にかすかな悲観を持っていました。
でも新しい鉱区の発見もあり、まだまだ安定した供給を期待できた当時は、たくさんの美しいブラックオパールやボルダーオパールが世界中の人々の目を楽しませていました。
時はオーストラリアブームの日本。
ハネムーナーから社員旅行、農協の団体さんまで、多くの観光客がオーストラリアを訪れます。
カンガルーやコアラと戯れ、一見ヨーロッパ風の街並みを楽しみ、短い行程の中で一度はオパール屋さんに。
日本国内では、まだその知名度は低かったブラックオパールやボルダーオパールに魅了され、たくさんのオパールが日本へ持ちかえられます。
一方、オーストラリアの多くの業者が日本をメインのマーケットとして、多くのオパールを持ちこむようになります。
ジュエリーショップや呉服店などの店内をはじめ、大きなホテルの宴会場を借り切ったり、オーストラリア大使館でオパールメインの展示会を開催、大きな売り上げを作っていました。
「ブラックオパールのルースが足りないから、明日までに持ってきて」
急遽オパール持って日本へ飛ぶ、
そんな時代でした。
多くの上質なオパールが、世界のどこよりも、日本へ届けられ販売されていきました。
鉱山の町へ足を運び、モーテルの部屋で待っていれば、鉱夫たちが採掘した自慢のオパールを持って、向こうから売りに来てくれる時代。
いや鉱山へと足を運ばなくとも、採掘シーズンが終わるとオパール持って、自分たちのところへ売りに来てくれた。
キャッシュさえあれば、仕入は簡単な、今では考えられないような、そんな時代。
。。。。。。。
「むかしは、、、、」
業界に長くかかわっている人間ほど、そんな一句で始まることを口にしがち。
「むかしのことは言わない」
これも、業界人が常に己への戒めのために口にする言葉。
懐旧の思いを転じて、将来への光明とす。
アノ頃 -これがすでに禁句ですが ー のような将来を待望して、今日はそんな思いを、あえて口にしてみました。
旧知の鉱夫から送られてきた一枚。
ワクワクします。
良い年になりそうな予感 。。。
Having a bright future.
さて、本日オパールのルースを16点出品しました。
どれも個性的なオパールたちです。
下記リンクよりご覧ください。
ルースを16点出品しました(https://bit.ly/opal-20250110)
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