また起きてしまった銃の乱射事件。
いったい何がこうした事件の原因なのでしょうか?
銃社会アメリカで起きたこと。
銃を規制しないアメリカ、自業自得。
そんなふうに考える人もいらしゃるでしょう。
インターネットで拳銃やライフルが買える国、アメリカ。
確かに銃規制がされていれば、今回の事件も含む一連の乱射事件は起きなかったかもしれません。
想像してください。
自分の家、周囲何百キロも人気がなく、まして警官なんて見ることもないような土地に住んでいることを。
ライフルの一丁も身近に置いておきたくなりませんか?
日本と違って国土が広く、警察などに助けを求めるにはあまりにも距離がありすぎ、自分の身は自分で守るという気概が伝統的に存在しているアメリカ。
日本人の感覚のみで、銃そのものを否定することはできないのかもしれません。
オーストラリアもアメリカ同様、広い国土とその歴史から銃の所持には寛大な国でした。
ですが、35人が犠牲になった1996年のタスマニアでの乱射事件をきっかけに、規制は強化されました。
それまで各州がバラバラだった規制を、国全土の共通なものに切り替え、大規模な銃器買い上げ制度(個人所有の銃器を政府が買い上げる)による銃器の数を減らす試みが続けられてきました。
その結果、銃による犯罪は減ったと政府は発表していますが、これに反論する人たちも存在します。
オーストラリアは安全な国だと政府も、旅行会社も宣伝していますし、私もそうだと思っています。
ですが、最近の日本と同様、事件は起きるところには起き、起きないところにはずっと起きない、そんな二面性のある安全神話なのです。
人里離れた原野で宝石を採掘しているマイナーたち。
彼らの中には、銃を持っている人も少なくありません。
アメリカほどの銃氾濫社会は問題外ですが、どうしても銃を必要とする人たちがいることも間違いありません。
今日はちょっと堅苦しいお話でした。
すいません。
今回のような事件が起きると、全ての責任が事件を起した人間より“銃”に転嫁されることがよくあります。
そのあたりに疑問を持っていたものですから。
今日も秋晴れ、空が真っ青なゴールドコーストです