何が間かって?
オーストラリアの弁護士事情だそうです。
「オーストラリアはだんだんアメリカ型の訴訟社会に向かっている」。
とある新聞に掲載されていたそんな記事。
妙に納得、そして共感するとともに、この国の将来へ一抹の不安が。。。
生涯を通じて一度も“弁護士”と呼ばれる人種と接することのない、そんな日本の社会と違い、その逆を行っているのがご存知アメリカ。
何でも裁判。いつでも裁判。
膨大な数の弁護士が存在し、仕事を取るために交通事故の現場に駆けつけたり、救急車の到着を病院で待っていたりする、そんな社会、、、アメリカ。
「自分が太ったのはマクドナルドのせい!」
「癌になったのはタバコメーカーのせい!!」
自分を棚に上げ、責任を他に求める人たち、そしてそれを先導する弁護士軍団。
そんなアメリカの一面を皆さんもご存知でしょう。
そんなギシギシしたアメリカ型の社会にオーストラリアもいつかはなってしまうのでしょうか?
確かにオーストラリアで生活、そして仕事をしていると、イヤでも弁護士(オーストラリアではSolicitor ソリシターと呼びます)と接する機会があります。
電話帳をめくってみると、“不動産売買専門”、“交通事故専門”、“家庭内問題専門”、、、あきれるほど弁護士事務所の広告が掲載されています。
文化も宗教も、そしてこれまでの背景も様々な人間が暮らす多民族の国。
そういう意味ではアメリカもオーストラリアも、弁護士という職業が必用なのかもしれません。
でも何だか弁護士に仕事を与えるために、稼がせてやるためにやるんじゃないか?
こんな大げさにしなくても、、、。
そんな契約や交渉ごとがあるように思えて仕方ありません。
物事をスムーズに運んでいくため、そしてお互いに誤解がないようにするための契約が、弁護士が介在する事でやたら面倒な事に。
またその料金といったら・・・・・・。
口約束も困りますが、あまり弁護士“先生方”の活躍する場が増えないような、そんなオーストラリアでいて欲しいと願っています。
今日も素晴らしい青空のゴールドコーストです。