どうやら日本の捕鯨船も寄港して、クジラ問題は一息ついた感じですね。
それにしても、今後また同様なことは起きる可能性はあるわけで、日豪両国民の相互理解の必要性は変ることはありません。
オーストラリアの“動物愛護”に対する国民性のあらわれとして、今日はテレビ番組をご紹介したいと思います。
それは、野生動物、あるいはペットや家畜に対する保護や虐待防止の任を担っている“RSPCA(The Royal Society for the Prevention of Cruelity to Animal 王立動物虐待防止協会)”の活動を紹介するドキュメンタリーで、“Animal Rescue (アニマルレスキュー)”という番組。
引越ししてしまった飼い主に置き去りにされたペットを救助したり、木に登って降りれなくなったネコを助けたり、ちゃんと世話をしない飼い主に助言や警告を与えたり、もちろん野生動物の保護のようすが、毎週番組内で紹介されます。
動物好きな私もよく見ている番組なのですが、たまに疑問に感じる、と言うか何か釈然としない気持を感じることがあります。
「そこまでやる?」そんな気持。
おぼれそうな犬を助けるために濁流に飛び込んでいく。
崖の途中で動けなくなったネコを助けるために、ヘリコプターから降下していくレスキュー隊員。
動物を助けるために危険をおかす。
人の生命をそこまで危険にさらして良いものか?
もちろん動物が救助された時には感動もします。
でも???
動物の命と人間の命。
程度、バランスの問題。
この程度の度合いが、オーストラリアと日本ではちょっと違うような気がするのです。
やはり民族性なのか?それともマジョリティの白人とのメンタリティの違いから来るのか?
何かモヤモヤしたものを感じているのは、きっと私だけではないはず。
動物愛護を声高に叫び、その一方ではカンガルーの生息する土地を造成し、あるいはコアラの住む森を伐採して宅地や道路を開発していく。
どこにでも転がっているそんな矛盾。
国内の生態系を守るため、着陸寸前の外国からやって来る飛行機内で殺虫剤を人間の頭越しに撒いていた国 オーストラリア(そんな時代もありました)。
そんなオーストラリア人の動物たちに対する過度にナイーブな考え方が、度を越さないよう願ってやみません。そう江戸時代の“生類憐みの令”のように。
ちょっと怪しげな天気のゴールドコーストです。