とうとう死刑が執行されました。
2002年以来、そしてここ半月ほど、オーストラリアのメディアに登場しない日が無かった“Bali Bombers”。
今日は、この国にとって、ひとつの大きな節目となる日に。
日本人も含む、202人という大勢の人が犠牲となった、2002年のバリ島サリクラブの爆破テロ。
その犠牲者の中には88人のオーストラリア人、そしていまだに怪我や後遺症、そして精神的なトラウマに悩んでいる人も。
5年以上にわたる裁判と、死刑確定から執行までの月日。
図らずも巻き込まれてしまった人たちや、その家族たちは、どんな気持で今日のニュースを聞いたことでしょう。
これまで、テレビに映る3人のテロリストたちは、白い歯を見せ、楽しそうに、そして得意そうにこぶしを突き上げたりVサインをしてみたりと、とても200人以上の人を死に追いやった自覚も反省も感じられない、まったくの理解範囲外。
死刑制度の良し悪しは様々な意見があることでしょう。
オーストラリア自体も、すでに死刑制度を廃止している国のひとつです。
日本の死刑制度に対しても、国連から勧告が出されたなんてニュースを、最近読んだ記憶もあります。
世界で死刑制度を存続しているのは、約60弱の国だけだそうです。
その中で、いわゆる主要8カ国では、日本とアメリカのみ。
ヨーロッパを中心とした世論は、死刑制度の撤廃に向いています。
でも、
人を殺めることを目的に、その自分の行った行為を正しいと信じきっている彼らのような人間を、どのように裁いたらよいのでしょう?
もちろん宗教がらみのこと、ものの見方はそれぞれでしょう。
しかし、宗教が人を殺すことの理由にはならないはず。
死刑を廃止しているオーストラリアも、今回のインドネシア政府の執行には賛成の様子。
むしろ執行を待ちかねていたような世論。
もし、同じようなテロ行為がオーストラリア国内で発生し、犯人を裁く時になったら、
オーストラリアの国民はどのように行動するのでしょうか?
死刑がされようとされまいと、被害者たちは生き返ってはきません。
でも、もし自分の子供が、親が、兄妹が、友人が、被害者だったら、
皆さんはどうお考えになりますか?
犠牲者を思っているような、そんな今日のゴールドコーストの空です。