ご存知のとおり、新年早々またいやな出来事が日豪両方の世論をにぎわせています。
オーストラリアに暮らす日本人として、両国が相対するような状態になるのはとても残念です。
このブログではあまり触れたくない話題のひとつなのですが、今日は一言だけお伝えしたいと思います。
日本でもオーストラリアでも、いろいろなメディアが様々な視点、論調でこの問題を取り上げています。
そうした報道の中で、どうしてもインパクトのあるもの、話題性のあるものが表面に出てきがちなのはしょうがありません。
オーストラリアのあるメディアでは、日本の行動はオーストラリアに対する宣戦布告である、と主張しているものもあり、また、このメディアの“戦争”という部分だけを報じる日本のメディアもあります。
でも、皆さんにわかっていただきたい、知っておいていただきたいのは、オーストラリア人だれもが、この捕鯨問題で日本を非難、敵視しているわけではないということです。
オーストラリアのメディアの中でも、ごく当たり前の、中立な立場で報じているメディアもありますし、日本寄りの報じ方をしているメディアもあります。
もちろんオーストラリア人の中にも、日本は国際ルールに則って行動しているのみで、相手側がまさしく“テロ行動”を行っているとどうどう主張する人たちがたくさんいます。
今朝方のテレビ番組の中でも、「南極には各国の領有権は存在せず、国際条約で決められたルールに基づいて捕鯨をしている日本を、どこの国だろうと非難することはできない。」、「捕鯨をする国というだけで、日本を非難したりさげすむことはできない。それぞれの国々が、それぞれの文化や食習慣を尊重することは当然であり、礼儀でもある。」と、私からすればもっともな意見が放送されていました。
ただオーストラリア人たちの自然や動物に対するナイーブさは、逆にこの国の国民性、文化として理解しなければいけないのかもしれません。
「鯨がかわいそう。」
「なぜ調査のために殺さなければならないのか?」
こうした声があるのは事実です。
過去に原住民アボリジニに対する行動で、異文化との衝突、そして今までの悲しい歴史に対して、謝罪をしてきたオーストラリア。
相手を認める、尊重する姿勢は十分あるのですが、やはりメディアの影響等もあり、捕鯨に対する感情は決してプラスにはなりえません。
我々日本人も、過激な報道にあまり振り回されず、あくまでも“尊重”の気持ちでと自戒しなければいけないところです。
「カンガルーを殺すオーストラリア人!」
そんな風に反撃する論調をいろいろなところで眼にしますが、こんなこと言い合っていても何も前進するわけではないのでは?
クジラを食べる日本人に対するオーストラリア人のイメージ。
スーパーでカンガルーの肉が普通に売っているオーストラリアに対する日本人のイメージ。
それぞれが、相手の事情、文化、歴史、習慣などを尊重しあうこと、
ただそのことだけを望み、この問題が早く解決することを願っています。
日本の皆さん、
オーストラリア人は大雑把だし、適当だし、いい加減ですが、ひとりひとりは気さくで何でも受け入れることのできる大きな気持ちを持っている人間だということを忘れないでくださいね。
駄文、失礼しました。