オーストラリアのオパールが発見された19世紀も後半。
はるか遠く離れたヨーロッパはドイツの町が、その後のオパール産業に与えた影響は少なからざるものでした。
そんなオーストラリアオパール黎明期のお話です。
宝石好きの皆さんなら、ドイツの Idar-Obersteinという町は当然ご存知のはず。
日本語では、“イーダル・オーバシュタイン”とも、“イーダー・オーバルシュタイン”とも記されるようですが、“イーダー・オーバーシュタイン”が一般的な様。
今の時代も宝石業界では有名な、ドイツの小さな町です。
18世紀まで、メノウやジャスパーの産地だったこの町が、カメオをはじめ、いろいろな宝石の研磨技術が集まり収束していったのは19世紀。
現在でも、世界の “Gemstone Center”として、多くの名工達の名前とともに有名な場所です。
クイーンズランドでボルダーオパールが発見され始めた19世紀末。
それまで、大小さまざまな採掘業者やディーラーが、新しいオパール産地としてのオーストラリア、特にクイーンズランドを世界中にアピールし、なんとか商売にしようとしてきました。
でも、それらはことごとく失敗。
クイーンズランドから産出されるボルダーオパールの市場が存在していなかったこと、
そして、その独特な産出状態ゆえに、カットや研磨の方法がまだまだ確立されていなかったこと、
多くの人間が夢を求めて、成功を求めて、来ては去っていきました。
そこに登場したのがこのイーダー・オーバーシュタインの業者たち。
1890年代も終わりに近づいた頃、ハンガリーなどのオパールが枯渇し始め、その後継地として目をつけられたオーストラリア。
もちろん、この町が培ってきた、そして受け継いできた研磨技術が、ボルダーオパールのその後に大きな貢献をしたのは間違いありません。
このちょっとしたブーム、イーダー・オーバーシュタイン発のブームが、ボルダーオパールだけでなく、その後のオパール産地としてのオーストラリアを確立したきっかけの一つになりました。
時は流れて・・・
今では、このドイツの町と大きな繋がりはなくなってしまいましたが、
あまり知られていない、オーストラリア産オパールの歴史のひとこまです。
朝晩がずいぶん涼しくなってきたゴールドコーストです。