福島県相馬郡飯館村。
今回の震災が無ければ、そして原発事故が無ければ、これほど有名になることも無かったかもしれません。
稲穂が風に揺れる、夏の日の田圃の風景。
稲刈りをとうに済ませ、水も抜かれた田圃の中で寒さもものともせずに凧揚げに興じた、正月のあの思い出。
もうアノ場所には戻ることが出来なくなるのか?
昨日、原子力安全・保安院が“核燃料の溶融を認めた”と報道がされました。
日を追うごとに状況の厳しさが公にされるにつれ、不安感はもちろん不信感を持ってしまうのも当然なのではないでしょうか。
「大したこと無い」「影響は無い」
そんなことばかり聞かされ、厳しい状況を小出しにされ、対応はいつも後追いするだけ。
政府や役所が何かを隠しているのか、それともこれまでの発表のとおり、状況はだんだんと厳しい方向へ進んでいるだけなのか?
それを判断する手段を私は持ち合わせていません。
一昔前の“癌”の告知をめぐる議論、動きを思い起こしてしまったのは私だけでしょうか?
「本人には知らせるべきではない」
そんな日本独特の風潮で、自分が癌であること、余命という期限を持ってしまったことを知らされずに亡くなる。
ちょっと考えすぎなのでしょうか?
両親がともに福島県の出身。
父親の生まれが、有名になってしまった飯館村。
小学生の頃、夏休みやお正月には遊びに訪れたのどかなアノ農村の風景。
そのころまだ健在だった祖母の家は、玄関の横に牛小屋のある昔ながらのつくりでした。
初めて凧揚げをしたのも、初めて釣りをしたのも、沼でウナギ捕りしたのも、初めてバイクに乗ったのも、
アノ場所でした。
今回の事故と比較されるチェルノブイリ。
こんなサイトを見つけました。
elenafilatova.com(日本語のサイトはこちら)
元のサイトは英語ですが、写真を眺めていくだけで、心が締め付けられるような気持ちがしてきます。
彼女は今回の福島原発についても このページで話をしています。
当時のソ連政府の対応、そして今回の日本政府の対応。
国土面積の狭い日本で起きた今回の事故は、チェルノブイリ以上の影響を人々に与えるかもしれない。
そう語っています。
事故発生から、少なくとも300年は居住することが出来ないといわれているチェルノブイリ近郊の土地。
想い出いっぱいのアノ土地に、もう一度行くことの出来る日は、私の生きている間に来るのでしょうか?
あまりにも不甲斐ない、あまりにも不誠実な国民への発表。
もう震災のことは書くまいと思っていましたが、怒りのような感情のまま、その誓いを破ってしまいました。
本当かどうかわからない情報の下、現場で作業をしている自衛隊をはじめ数多くの人々。
比較にならないくらいの不安を抱え、今も生活をしている近郊の住民の皆さん。
がんばれ日本人!!
それしか言えません。
今日も小雨まじりの曇り空です。