ボルダーオパールの歴史と産地 。。。

先回はKoroit産のボルダーオパールをご紹介しました。
今日は、ボルダーオパール採掘の歴史と、その産地について簡単にご紹介してみたいと思います。


基本的にボルダーオパールは、オーストラリアの北東部、ケアンズやここゴールドコーストのあるクイーンズランド州内陸部で産出されます。
ご承知のとおり、鉄鉱石に抱かれるようにして育まれるオパールですので、基本的には鉄鉱石が産出されるエリアと重なってきます。
もちろん鉄鉱石の産出するところであれば何処からでもボルダーオパールが採れるわけではありません。
その証拠に、オーストラリアと並んで鉄鉱石の主要産出国であるブラジルやインド、あるいは中国で、ボルダーオパールに類似したオパールが採れたという話は今のところ耳にしていません。
いわゆる鉄のもととなる鉄鉱石ほど鉄の含有量が高くなく、“褐鉄鉱”と呼ばれる鉱物の存在するエリアと、かつてオーストラリアに存在した内海の海岸線が重なったところが、現在のボルダーオパールの産出地となっています。
記録によると最初にボルダーオパールが産出されたのは、クイーンズランド州内陸の町ブラッコール(Blackall)で1870年前後のことです。
それまでオパールと言えば乳白色あるいは透明なもの、主にハンガリー産や南オーストラリア産が一般的でした。
そこに突如として登場した燃え立つばかりの強烈な色合いを見せる新しいオパールの出現に、人々は目を奪われるとともに、「これは色付けてるんだな!」そんな疑心をぬぐいきれなかったそうです。
こうしていろいろと記録を見ていくと、ライトニングリッジでブラックオパールが見つかったのが1902年頃ですから、ボルダーの方が先行していたのですね。
ブラックオパールもそうですが、このボルダーオパールも実際に宝石としての価値を認められ、マーケットに出まわるまではその後数十年の時間が掛かるのですが、それ以前にも、噂を聞きつけた山師たちが幸運を求めそれぞれオパール探しを始めます。
その頃は、ボルダーオパール産地として今でも有名なQuilpie(クイルピー)を中心とした広大なエリアで、それぞれが細々と採掘をしていたようです。
1870年代も終わりの頃、これまでとは比べ物にならないような大規模な、そして集中したオパールの存在が、クイルピーの西Eromanga(日本語にすると冗談のようですが、エロマンガ)で発見され、1912年ころまで、この町はオパールラッシュに沸きかえります。
1890年頃には、17歳の若い牧童に偶然拾われたオパールのニュースがきっかけとなり、これまでの産地よりずっと北でも採掘が始まります(このエリアは後にOpalton、オパルトンという町になります)
その後、いくつものエリアが発見され、人口の急増、町の発展、採掘量の減少、衰退、ゴーストタウン、というお決まりのコースをたどり、そうした時代の中で、財を築いた者、失った者、そして以前ご紹介した こんな人間たちのドラマが繰り広げられていきます。
そして現在、Quilpie等でも細々ながら採掘は続けられていますが、北部のWinton(ウイントン)周辺、そして南部のYowah(ヨワ)や先日ご紹介したコロイト周辺が、ボルダーオパール採掘の中心となっています。

この写真のオパールもウイントン産。
おそらく、現在日本に出回っているボルダーオパールの7割ほどはウイントン周辺で採掘されたものではないでしょうか。
ボルダーオパールならではの表情を楽しませてくれるウイントン産のオパール。
そんなウイントンでも、近年の採掘量は激減しています。

日本の総面積の約4.5倍に相当するクイーンズランド。
その広大な赤茶けた大地のどこかに、まだ人の目に触れていないオパールたちが眠っているかもしれません。イヤ、必ず眠っているはずです。
採掘エリアが広大なだけに、そんな事を夢想してしまうボルダーオパールの世界です。

写真のオパールをもっと見たい方、

コチラからご覧ください。

この間までの肌寒さがウソのような、ポカポカゴールドコーストです。


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