もう2度と訪れること、できないのではないか?
そう思っていたあの場所へ、行ってきました。
あれから4年と6ケ月のFUKUSHIMAへ。
私ごとですが、たくさんの思い出ある場所、父の故郷、福島県飯舘村。
「今でも居住することはできませんが、昼間であれば立ち寄ることはできますよ」
村役場へ確認し、そんなお返事をいただいたので、父を連れて先日里帰りをしてきました。
東北自動車道を二本松で降り、多くのダンプが行き来する一般道をのんびりと2時間弱
久しぶりに訪れた懐かしの村の様子
除染作業をする作業員の方々の姿、立ち入り禁止の看板、そして、
まさしく山のように、かつ整然と積み上げられた黒い袋
空は青く、緑はあくまでも緑
聞こえる鳥の声、セミの鳴き声
平和な田舎の風景と、現実を思い知らされる黒い山。
30数年ぶりにやってきた村は、きっとそれほど変わっていないのかもしれません。
でも、住民の姿も見えず、家々には雨戸が閉められ、人気は感じられません。
手入れする人もなく、緑に飲み込まれつつあるような家、家、家
小学生のころ釣りをした池も今はなく、時の流れを実感する反面、まったく思い出の中とおんなじ家のたたずまい。
でも住む者のない家は痛みが目立ちます。
カーテンの隙間から室内を覗くと干された洗濯物、そして何か作業中だったのか、テーブルの上に残されたザル。
その時はこんなにも長期間、戻れないなどと想像はしてなかったのでしょう。
ちょっと買い物にでも出かけて行ったかのような室内の様子。
叔父さん、叔母さん、従妹たち、
みんなどんな気持ちだったのか?
メディアを通じて見る映像より、自分の目で見、耳で聞き、肌で感じた現実は、想像以上のものでした。
今後の除染を思い、朦朧となりながら村を出ました。
宮城県まで足をのばし、お墓参りを済ませ、津波で家を失った叔母の、新築の家に寄り道をし、元気そうな姿にホッとしつつも、やはりまだガランとした、整地の終わったばかりの周りの風景を見て、復興の難しさを痛感しました。
高齢の父には今回が最後となるかもしれません。
「大きな仕事を済ませ、肩の荷をひとつ下ろすことができた」
そんな思いです。
お土産は、福島猪苗代の地酒。
また遊びに行きますね。