※ 今日のお話しは “オパール” とも、“オーストラリア” とも全く関係ありません。あしからず。。。
「アレ? なんかおかしいな??」
それは仙台ミネラルマルシェの片づけも終わった、今月15日の夜の事でした。
なんだか左目がモヤモヤして、、、
ハエが目の前を飛んでるような、、、
視界が狭くなったような 。。。
そう、アクシデントは突然にやってきました!
もとより弱い左目に起こったことだけに、ちょっと嫌~な感じ。
定期的に診察を受けている病院に行ったのが、2日後のこと。
いつものように視力や眼圧等々をチェック。
眼底検査をしていた技師さんの様子が急に !
「ヤマキさん、頭を大きく動かさないで」
「うなずかないで」
そんな言葉を残し、診察室のドクターの元へあわてて歩いていく後姿を見て、ちょっと嫌な予感が。
そして診察の後にくだされた結果は、
「網膜剥離です」
一番聞きたくなかった単語がドクターの口から!
視力に直結する、ご存じ “ 網膜 ” に穴が開き、そこから網膜の裏側に水分が滲み出し少しずつ剥離が進んでいく
ドクターからのご説明。
加えて、
「治療は手術しかありません」
「それもできるだけ早く」
いつもポーカーフェイスなドクターの表情にも少し焦りが、、、
ひしひしと迫ってくる緊迫感に身を任せるしかない私、ドクターの紹介状を持って、そのまま手術を受けるべく大学病院へ。
こんな大きな病院に来たのは5年前の “ アキレス腱断裂 ” 以来。
専門ドクターの診察を受けて、翌日入院、その次の日に手術というスケジュールが決定。
こうして人生初の手術入院が始まりました。
初めての入院、必要以上に大きなスーツケースを引きずり、看護師さんに促されて病室へ。
再度ドクターの診察の後、翌朝の手術の段取りを説明され、そのまま軟禁状態に。
眼を除けばいたって健康な身体、じっとしてるのも耐え難く、まして明日は手術、それも眼の!
眠れるわけありません。
ほとんど一睡もできずにいよいよその時は来ました。
点滴用の管を刺され、安定剤を注射され、人生初のストレッチャーに乗り手術室へ。
流れていく病棟の天井をただ眺めることしかできない展開に、担当看護師のOさんのひと言、きっと一生忘れません。
「私、目の手術が一番イヤです」
おい、今それ言うか?
「でも、水中にいるような感じだって言いますから、きっと大したことないですよ」
手術時もその後の入院時も、たくさんの看護師さんがお世話をしてくれました。
でも、唯一おぼえているのは、Oさん、あなたの事だけです。
決して心安いものではありませんので、手術中の描写は控えさせていただきます。
一時間強で無事終了しましたが、これまでの人生の中で最も長い一時間でした。
オパールで休憩。
手術は無事に済みましたが、その後のリハビリ(?)がまた厄介。
術後は剥がれてしまった網膜が自然に戻るように、下向き姿勢でいなければなりません。
真ん中に穴の開いた専用の枕に顔をうずめ、ずっと下を向いていなければならないことのたいへんさ、お暇な方はぜひ試してください。
そんな姿勢で安眠できるわけもなく、悶々と眠れない夜。
そして顔をあげることのできない時間。
そんな絶対安静状態の数日間を何とかやり過ごし、目のゴロゴロ感や異物感も落ち着いてきた7日目に、無事退院することができました。
退院後も上を見上げることを禁じられ、充分に視力が回復するまでの約ひと月、まだ我慢の日々が続きます。
今さらですが、見えることの偉大さ、視力がどれほど大切か、
再認識させられた、今回のアクシデントでした。
仕事柄、どちらかと言うと眼を酷使することの多いこれまででしたが、これからは少し眼を休ませることも意識していかなければならないのかもしれません。
今回の “ 網膜剥離 ” の原因ですが、物理的に目に力が加わったわけでもなく、やはり “ 加齢 ” ということだそうです。
眼を大切に。
もう夏ですか?
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